「たたら」の発祥と発展

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 「たたら製鉄」――それは、日本で千年余にわたって受け継がれてきた伝統的製鉄法です。

 古来人々は、山や川、海から採れる砂鉄を原料とし、木炭の火力を用いて製錬することで鉄を得てきました。先人達は製鉄技術に様々な改良を重ね、日本独自の製鉄法までに昇華させました。これが日本固有のたたら製鉄――「たたらき」です。

「たたら」の語源

 「たたら」という文字は、『古事記』(712年)に「富登多々良伊須々岐比売命ほとたたらいすすきひめのみこと」、『日本書紀』(720年)では「姫蹈鞴五十鈴姫命ひめたたらいすずひめのみこと」と出てくるのが初見です。

 「たたら」には「蹈鞴」と「鑪」、2つの用法が認められます。

 「蹈鞴」は製鉄炉に風を送る鞴自体を指すもので、平安時代の『倭名類聚抄わみょうるいじゅしょう』などに見られます。

 もう一つの「鑪」は、近世の文書などに見え、鞴だけではなく製鉄場全体を指して用いられるようになりました。また、たたらを「高殿」と記している例もあり、これは製鉄炉を覆った建物を指すものです。

 そして現在では、「たたら製鉄」のように、製鉄技術全体を含む、より広い意味で用いられるようになっています。

日本の「たたら製鉄」技術の変遷

箱形はこがた炉による砂鉄製錬技術

 古代の鉄生産は、中国地方はもとより、東北、関東、北陸、近畿、九州など各地で行われました。中国では、はじめ原料には鉄鉱石が使われましたが、砂鉄の使用が始まると箱形はこがた炉による製鉄が行われるようになります。一方、関東や東北などでは砂鉄が原料でしたが、箱形炉に加えて竪形たてがた炉も数多く確認されています。鉄生産は、中国と東北の一部では古代・中世・近世と継続しますが、その他の地域では鎌倉時代までには姿を消してしまいます。

製鉄炉と地下施設(地下構造)の改良・発展

  •  製鉄が始まった古墳時代後期(6世紀後半)の炉は、平面形が円筒形または隅丸方形をした自立炉で径50cm程度の小さなものでした。

     奈良時代(710~794)には炉の長さを延ばした箱形炉が現れます。炉が長くなったことで、鞴から炉に向かって扇形に送風管を並べる構造が生まれ、箱形炉の基本的な形態は、この段階で成立しました。

     中世の炉は、古代の製鉄炉に見られる構造を発展させたもので、炉は細長い長方形となる方向でだんだんと大型化していき、近世には長さ250~300×幅70~90×高さ110cmほどの規模にまで拡大しました。


  • 6世紀後半頃の自立炉 今佐屋山遺跡 再現模型[和鋼博物館 蔵]


 炉の大型化は、地下施設の大型化と不可分の関係にあります。大型炉で高温操業を安定して行うためには地下から上がってくる湿気を防ぎ、炉内温度の低下を防ぐ地下施設の大型化も進められました。近世では、炉の直下に木炭を敷き詰めた「本床ほんどこ」と、炉の両側にトンネル状になった「小舟こぶね」と呼ばれる地下施設(「床釣とこつり」)が設けられました。

 このように、操業を安定させるため地下施設の工夫が重ねられたことと、風量の確保のための送風装置の改良により、炉の大規模化が可能となっていきました。


  • 近世の炉[菅谷すがやたたら山内さんない

  • 地下構造の実物大モデル[奥出雲たたらと刀剣館 蔵]

天秤鞴てんびんふいごの登場

  •  「たたら」の技術的変遷において、天秤鞴てんびんふいごの登場は画期的な出来事でした。近世の中国山地でたたらが盛んになったのも、この天秤鞴の導入によるところが大きいといえます。

     鉄の需要が増えるにつれ、生産量を上げるために大型化した炉には、一層勢いよく空気を送り込み、炉内の温度を高める装置が不可欠です。そこで、たたら製鉄においては足踏み式の鞴が用いられてきましたが、この踏鞴にさらに改良を加えたものが天秤鞴です。天秤鞴は両足で左右それぞれの鞴を交互に踏むもので、片方を踏むともう一方が上がる、いわばシーソーのような構造が特徴です。この天秤鞴の導入により、生産効率は飛躍的に向上したと考えられています。

     鞴を踏む作業に従事する人を番子ばんこ/ばんごと呼び、約70時間の操業の間、片時も休まず炉内に風を送り続けるという過酷な作業に従事しました。番子は3人1組で1人が鞴を踏み、1時間踏んでは2時間休憩の交代作業を行なったとされ、この様子が「かわりばんこ」という言葉の起源ともいわれています。

     なお、鞴(吹子)には天秤鞴の他にも様々な種類があります。

    皮鞴かわふいご
    『日本書紀』には天羽鞴あまのはぶきという皮袋による鞴の記録がある。
    踏鞴ふみふいご
    「たたらを踏む」という言葉のもとになった鞴で、板を踏むことで上下運動により風を送る仕組みの鞴。
    吹差鞴ふきさしふいご
    手押し式の鞴。箱の形をしていて、気密性が高く、柄を押しても引いても送風でき、始まりは鎌倉初期~中期で、普及したのは15世紀以降。奥羽地方では大型の吹差鞴を「大伝馬」ともいう。
    天秤鞴
    中国地方で発達・普及。発明は元禄年間。
    水車鞴
    鞴を動かす労働の過酷さによる番子不足を、動力に水車を利用することで解決した鞴。奥羽地方で発明され広く実用化。
    • 天秤鞴 復元模型[奥出雲たたらと刀剣館 蔵]
    • 吹差鞴[奥出雲たたらと刀剣館 蔵]
    • 水車鞴に送風する水車小屋 [菅谷たたら山内]

「たたら製鉄」の終焉と復活

 古来独自の発展を遂げてきた日本のたたら製鉄は、鉄の需要が高まった幕末から明治初期にかけて最盛期を迎えます。しかし、この時期は、同時に西洋から当時先進の製鉄・製鋼法が流入した時期でもありました。従事する人々の技能と伝統的知見に強く依拠した「手工業」的色彩の強いたたら製鉄は、量産性の高い「工業」としての西洋式製鉄・製鋼法の前に衰退の一途を辿ることとなります。そして、大正時代おわり頃に最後のたたらが廃業したことに伴い、日本のたたら製鉄はその歴史に幕を下ろしました。

 たたら製鉄は、太平洋戦争による軍刀需要などで一時的な復活はあったものの、長年にわたって途絶していました。しかし、昭和52(1977)年、日本刀の原料としての和鋼が払底したことに伴い、日本美術刀剣保存協会にっぽんびじゅつとうけんほぞんきょうかいが文化庁の後援のもと「日刀保にっとうほたたら」を創設、以来今日まで現存する唯一のたたら製鉄として日本刀材料としての玉鋼を供給し続けています。

 日本のたたら製鉄は復活したのです。

  • 高炉やコークスなどの西洋技術で成功した釜石かまいし鉱山田中製鉄所
  • ドイツから技術を導入した八幡やはた製鉄所
  • 炭入れ:日刀保たたらのたたら操業
  • 釜出し:日刀保たたらのたたら操業