「たたら製鉄」の衰退と復活

「出雲鉄」の隆盛と衰退――伝統的製鉄の爛熟期

  •  中国地方の鉄は、幕末(1853~1868)から明治初頭にかけて、国内の鉄生産量の8割~9割という圧倒的なシェアを獲得していました。しかし、明治の開国によって洋鉄が大量に輸入されるようになると、和鉄は急速にその地位を失っていきます。
    和鉄は、日清戦争(1894~1895)・日露戦争(1904~1905)・第一次世界大戦(1914~1918)の特需により一時的な回復を見せますが、やがて安価な洋鉄に駆逐される形で日本の伝統的製鉄法は途絶することとなりました。
    その後、たたら製鉄は第二次世界大戦(1939~1945)の軍刀需要により一時的に復活しますが、敗戦により再び廃止されます。

  • 世界の製鉄産業の変遷を振り返る展示資料[鉄の未来科学館]

「たたら」の復活――日刀保にっとうほたたら

 「たたら」の代名詞ともいえる日本刀にほんとう)は、日本が世界に誇ることのできる鋼の工芸品です。その作刀には、日本古来の製鉄法であるたたらによって生産される和鉄、中でも良質な鋼である貴重な玉鋼たまはがね)が不可欠です。

 玉鋼は、たたらで得られたけら)(粗鋼塊)を破砕し、特に不純物の少ない良質の部分だけを取り出したものです。
 玉鋼は純度の高い炭素鋼でもともと刃物に適していますが、これに折り返し鍛練を施すことで、含まれる不純物が排出されるとともに適度に分散介在し、刃物とした際の粘り強さを与える、研ぎ性を高めるなど刃物鋼としての性質を向上させ、また微妙な肌模様を作りだすことで刀の美しさにも寄与していると考えられています。

 このように日本刀に不可欠な玉鋼ですが、昭和8年(1933)から昭和20年(1945)にかけて奥出雲町で操業された「靖国やすくに)たたら」を最後に、以後ほとんど生産されていませんでした。
 やがて作刀材料としての玉鋼は当時の残存分もほとんど底をつき、そのため日本刀製作に大きな支障が生じるとともに、伝統文化・技術の保全としても危機に直面することになりました。

 第二次世界大戦後、占領軍の没収によって途絶の危機に瀕していた日本刀を混乱から救い、これを後世に伝えることを目的として、昭和23年(1948)、当時の文部大臣の認可により公益財団法人日本美術刀剣保存協会が設立されました。以来、同協会は、美術工芸品として価値ある刀剣類の保存と公開、重要無形文化財としての日本刀の鍛錬・研磨・刀装製作技術などの保存と向上に努めてきました。
 この取り組みの一環として、同協会は昭和52年(1977)、旧「靖国鈩」を「日刀保にっとうほ)たたら」として復活させました。以来今日まで、日刀保たたらは日本刀材料として唯一正当なたたら製鉄による玉鋼を生産、全国の刀匠に供給しています。

 ここに、日本の伝統的製鉄技術「たたら」は復活したのです。

  • 日刀保たたら(奥出雲町)
  • たたら操業