たたらの原風景

 出雲地方の、往時の姿を想起させる象徴的な景観や文化――いうなれば「原風景」は、実はたたら製鉄に由来するものも多いのです。そのいくつかを紹介します。

鉄穴流かんなながしがもたらした農山村の風景

  •  奥出雲地方は良質で豊富な砂鉄資源と、採取に適した地形、水利、温帯モンスーンのもたらす豊富な雨量によって育まれる森に恵まれていました。森の木々は、鉄を製錬する際に必要な木炭となり、炭焼きも盛んに行われました。江戸時代、天秤ふいごの発明などにより、中国地方産の鉄は全国トップシェアを持つに至りました。
     天秤鞴の導入とともに、奥出雲地方における鉄の量産を可能にした要因は、山を崩して山砂鉄を採取する「鉄穴かんな流し」でした。鉄穴流しとは、山を崩した土砂を水で流すことにより砂鉄を水洗分離する方法で、山から谷へ伸べ7キロメートルの設備を必要とする大規模なものでした。砂鉄と砂の重さの違いを利用して砂鉄を採取する鉄穴流しは中国地方で独自に発達した技術で、これにより良質の砂鉄を効率的に採取することができるようになったのです。鉄穴流しの遺構は、奧出雲町の「羽内谷はないだに鉄穴流し場」に完全な形で保存されています。


  • 鉄穴流し

 鉄穴流しは大量の砂鉄をもたらしましたが、同時に、切り崩された山は地形を変え、砂鉄を採取した後の膨大な土砂は川を流下し流域に影響を与えました。鉄穴流しによって斐伊ひい川水系では5億トンにも及ぶ砂鉄母岩が採掘されたとの研究もあります。その跡地や土砂により奥出雲町の田畑の約3分の1が造成され、広大な棚田の景観を生み出し農地整備に貢献したといいます。


  • 大原新田[島根県奥出雲町]

 鉄師絲原いとはら家が文久2年に開発した大馬木おおまき地区の大原おおはら新田は国の棚田百選に選ばれ、その雄大で美しい景観は、そこに住む人々だけでなく訪れる人々を魅了します。棚田の中に見られるこんもりとした小山は「鉄穴残丘かんなざんきゅう」といい、鎮守の杜や墓地などがあったために鉄穴流しで削らずに残されたことによる特徴的な地形です。

  •  また、鉄師卜藏ぼくら家が本拠を置いた追谷おいたに集落は、明和5(1768)年から大正末年まで150年を超えてはらたたらを操業した地であり、昭和13年には帝国製鉄株式会社が、原鈩跡を借り受けて叢雲むらくも鈩として終戦まで操業しました。その跡地には63駄1歩という驚異的な出鉄を記念した頌功しょうこう石が今も残されており、鉄を冷やした「鉄池かないけ」や製鉄の神「金屋子かなやご神社」の遺構、そして鉄穴流し後に拓かれた棚田が、たたら製鉄とともに歩んだ山村の歴史を物語っています。
     今は静かな田園風景に、もはや栄華を誇った時代の面影を認めることはほとんどできませんが、卜藏家旧宅跡の池泉ちせん式の庭園は、日本を代表する庭園家重森しげもり三玲みれいによって復元され観賞することができます。


  • 追谷集落

わずか300年で形づくられた出雲平野


  • 斐伊川の夕景

 島根県仁多郡奥出雲町の船通山せんつうざんを源流とする延長153キロメートルの一級河川斐伊川。鉄穴流しによる大量の土砂は斐伊川を流下し、下流域に東西20キロメートル、南北8キロメートル、面積は実に130平方キロメートルという広大な出雲平野を形成しました。

 それほどの平野を形成する土砂とは、いったいどれくらいだったのでしょうか。たたら1回の操業、一代ひとよに必要な鉄は14~15トン。山を切り崩した土砂から1パーセントの砂鉄を取り出したとして、1回の操業でその100倍の土砂を流したことになります。斐伊川流域に流れ出た土砂の総量は、およそ2.2億平方メートル(東京ドーム約177杯分)に上ったとされています。


  • 出雲平野と斐伊川
  •  出雲平野は、島根半島と中国山地の間の低地に東西に形成され、西は日本海、東は宍道湖しんじこに接しています。斐伊川は過去に数度流路を変えていますが、現在斐伊川が出雲平野を南から北に向かって流れている部分には標高10メートルを超える扇状地せんじょうちが形成され、東西方向に緩やかに傾斜しています。

     簸川ひかわ平野とも呼ばれる出雲平野東部の堆積物は1630年代後半以降のものであることがわかっています。これは、近世に行われた鉄穴流しによる大量の土砂の流下が斐伊川流域の埋積を加速させたことを物語っています。すなわち、簸川平野のおよそ3分2は300年に満たない比較的短期間で形づくられ、斐伊川下流・河口域が現在と近い姿となったことになります。

川底に今も眠る富田とだ城下

 一方、鉄穴流しによって伯太はくた川、吉田よしだ川、富田とだ川に流れ出た土砂は、安来平野を形成しました。安来市南部から中海なかうみに向かって流れる飯梨いいなし川や伯太川は、江戸時代から川床の上昇があり、前出の斐伊川同様、周囲の土地や家屋より川床が高い「天井川てんじょうがわ」となったといいます。

 天井川とは、川床の上昇に伴い繰り返し堤防を高くしたことで川床が周囲の平地よりも高くなった状態をいいます。ひとたび天井川が氾濫すると、溢れた水を排水できないことから甚大な被害をもたらします。

 出雲地方に天井川が形成された主な原因は、やはり鉄穴流しでした。砂鉄の採掘により大量の土砂が流出し、ついに町並みから土手を見上げるまでになったのです。豪雨による洪水がたびたび発生し、寛文6(1666)年の富田川の大洪水では広瀬ひろせの町が丸ごと呑まれ、飯梨川と名を変えたその川底に今も眠っています。現在の安来平野の水田は、埋没した水田の上に客土をして造られたものなのです。

 このように、出雲地方の原風景の一つに数えられる広大な三角州の田園風景は、たたら製鉄、ことに近世の鉄穴流しがもたらした大規模な環境変化にも屈せず、それを利用してきた先達の遺産でもあるのです。


  • 安来平野

金屋子かなやご神社の総本山

  •  永代えいだいたたらの建設に加わった75神をはじめ、火災から高殿たかどのを守る神様、炉に風を送る神様…など、たたら製鉄には多くの神様たちが参加したとか。これらの神様が一緒だと良い鉄が生み出されると信じられてきました。中でも金屋子かなやご神は製鉄の神とされています。たたら場には必ず金屋子神が祀られ、かつらの木が植えられたということです。

     金屋子神は高天原たかあまはらから播磨国はりまのくにに天降った後、白鷺しらさぎに乗って出雲国比田ひだ村の桂の木に舞い降り、その姿を発見した安部あべ正重まさしげに製鉄技術を伝授したと言い伝えられています。この安部氏が宮司となって金屋子神を祀ったのが安来市広瀬町の金屋子神社で、全国に1200社を数える金屋子神社の総本社として西比田にしひだ黒田の杜深くに鎮座しています。

 石造りでは日本一といわれる高さ9メートルの大鳥居をくぐり、静寂をしたためた参道を歩けば、その凛とした空気に鉄の神様の存在を感じられるよう…。総けやき造りの壮麗な社殿には、今もたたら職人をはじめ鉄に関わる多くの参拝者が参詣しています。

金屋子信仰と神秘のたたら吹き

  •  金屋子神はあまり美しくない女神で女性を嫌うと伝えられています。特に月のけがれ、出産の穢れを忌み嫌ったため、妻が生理の時は夫はたたら場に入らず、出産のときには仕事を休んだといいます。ただし、これは金屋子神特有なことではなく、平安時代以降、生理は赤不浄、出産は白不浄とされ、日本の神はこれらを忌むと信じられてきたことによるものです。

     一方、金屋子様の不思議は、不浄のなかでも最も大きな黒不浄=死を全く嫌っていないことです。例えば今日でも私たちの生活の中には忌引の制度が根付いており、親族が他界した場合に会社や学校を休んでも欠席扱いになりません。これは死者を悼んで喪に服すための期間としての制度ですが、元々は死の穢れはうつると考えられていたことに由来します。人は死穢しえを忌み恐れ、葬家で食事をしない、煙草の火も借りないといった風習があり、とむらいを出した家は忌みこもりをして他者に死穢をうつさないように求められたのです。もちろん、神も黒不浄を嫌うので、葬家の者は一定期間鳥居をくぐりませんでした。

     ところがたたら場では、鉄が沸かなくて難渋した際に、亡くなった村下むらげの骨を掘り起こして押立柱おしたてばしらに括り付けたらよく沸いたとか、むくろを押立柱に縛っておくとたたらの調子がよいとか、葬式が出ると棺桶を担いでたたらの周りを回ってもらうと鉄がよく沸いた、棺桶はたたら場で作った等々の言い伝えが残されています。


  • 金屋子神乗狐掛図
    [金屋子神話民俗館 蔵]

 1300度や1500度といった、通常の生活では接することのない高温の炎を操って鉄を沸かし、視力をも奪うほどの灼熱にさらされ、時には水蒸気爆発の危険も付きまとうたたら場。たたら操業は、穏やかな信仰では如何ともし難い程に過酷で不如意な作業であり、黄泉国よみのくにを源とした、ある種デモーニッシュ(超自然的)な力に頼っても操業を成功させたい…。そんな切なる願望が生み出した金屋子信仰なのかもしれません。

 

 先人の鉄にまつわる営みの跡を目の当たりにするにつけ、神話の昔から今日まで続くたたら製鉄への想像はかき立てられます。そんな「たたらの原風景」が、この地には今なお数多く残っています。

<参考資料>

『鐵の道を往く』(鉄の道文化圏推進協議会 編)
『斐伊川百科』(島根大学「斐伊川百科」編集員会 編)
『たたら吹製鉄の成立と展開』(角田徳幸 著)
『遥かなる和鉄』(一般社団法人日本鉄鋼協会 発行)
『もっと知りたいしまねの歴史』(島根県教育委員会 編)
『出雲国風土記参究』(加藤義成/今井書店)
『和鋼風土記』(山内登貴夫/角川選書)
『解説 出雲国風土記』(島根県古代文化センター)
『シンポジウム 人間と鉄』(財団法人鉄の歴史村地域振興事業団出版部)
『日本民俗事典』(弘文堂)
『たたらの話』(日立金属ホームページ)
『たたらの話し』(和鋼博物館ホームページ)
『武士道と日本刀』(ナショナルジオグラフィックtv)