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日本の在来信仰において、製鉄は神々との関わりが特に深いとされています。金屋子神だけでなく、各地の荒神や稲荷神なども製鉄との関係があるといわれています。
一般的に、神社や神の由来や縁起を語る神話は『古事記』(712)や『日本書紀』(720)に源流を求めるものが多数を占めています。しかし、これら二つの記紀に金屋子神の姿は見られません。古の製鉄職人たちは崇拝する神に憚ってその存在をあえて口にしてこなかったのかもしれません。
金屋子神を祀る人たち
たたら製鉄の総本山「金屋子神社」
金屋子神信仰は、これを製鉄職関係の神として祀った金屋子神社という神社名の他、金山彦、金山、金井などの神社として全国的に分布しています。中でも、安来市広瀬町の「金屋子神社」は、特にたたらに所縁の深い製鉄神として注目されています。江戸期の天明4年(1784)に伯耆(現在の鳥取県西部)の下原重仲によって著された『鉄山必用記事』には、金屋子神の降臨に関して次のような内容が記されています。
「太古のある日、村人が集まって雨乞いをしていたところ、播州穴栗郡岩鍋というところへ神様が舞い降りた。その神託は、これからあらゆる鉄器をつくり五穀豊穣を祈念しよう、というものだった。しかし、そこに神様が住みたもう場でなく、白鷺に乗って西方へと飛び、出雲国能義郡(現在の安来市)の桂の木に舞い降りた。それを見つけた安部正重(金屋子神社の宮司である安部家の祖先)が社を建立し、神を村下としてこの地でたたらを吹いた。そこでは鉄の湧くこと限りなかった」
金屋子神は、このようにしてたたらの守護神となり、製鉄関係者の尊崇を集めました。
安来市広瀬町の金屋子神社に伝わる3冊の勧進帳によると、江戸時代後期のたたら製鉄の盛行期には、中国山地一帯に広大な信仰圏が形成されていました。
現在唯一たたら操業を行っている「日刀保たたら」(奥出雲町)では今日でも常に崇高な気持ちで金屋子神に接しており、高殿の傍らの桂の木の根元には小さな祠が質素な中にも荘厳に飾られています。また、金屋子神は高殿内の正面の神棚にも祀られ、操業が終了すると、関係者全員が操業の無事を感謝してお参りするのが習わしとなっています。
金屋子神の総本山・金屋子神社(安来市広瀬町)の春と秋の例大祭は、西日本一帯の製鉄、鋳物、鍛冶に関わる人々の篤い信仰によって賑わいをみせます。「日刀保たたら」では、この例大祭の日に同神社までの片道10kmの道のりを素足で参拝する「裸足参り」を、今日も続けています。
祈りの切実さは今も昔も変わりません。