父は鉄穴師かなじ、母は村下むらげの娘

 作家有吉ありよし佐和子さわこの小説『出雲の阿国おくに』は、「たたら」をモチーフに歌舞伎かぶきの始祖と伝わる出雲の阿国の一生を追ったフィクション作品です。

 作者は執筆にあたり10余年をかけて綿密な調査を行っていますが、その間に自分の中に育ってしまったという1人の女性「お国」は、「どうしても出雲から出たものでなければならず、しかもたたらの血筋の者でなければならなかった」(「神話の生きている国」『世界』昭和42年4月)と父を鉄穴師かなじ、母を村下むらげの娘と設定します。
 2人はたたら場から駆け落ちをして出雲杵築きづき(現在の出雲市大社町)へ逃げ込み、間もなく斐伊ひい川の洪水で落命したことから、お国は出雲杵築の鍛冶屋に引き取られた――とお国の生い立ちを展開させていきます。
 こうした背景から両親の顔を知らずに育ちますが、里親から繰り返し聞かされる「たたらの話」や「父母の駆け落ち話」に心ときめかせ、「お国の身の内には火が燃えちょうけん気をつけろ」と諭されるうちに、身の内に流れる血やたたらの火に強い憧れを抱いた娘に成長し、念仏踊りの一座に同行して京に向かいます。

次々湧き出る新たな踊り

 京に上ったお国は連歌師れんがしに見出され、厳しい稽古によって踊りを洗練させていきます。時は豊臣の世から徳川の世へと大変革を遂げる頃。お国はかぶきスタイルやはやり唄といった流行をいち早く取り入れ、自らは男性を演じ、男性の座員には女性を演じさせてみたり、演劇仕立ての舞台構成を編み出すなど演出家としての才能も開花させていきます。

 作者はこうした表現者や創造者としての一面を、様々な文献や伝説を紡ぎ合わせて描き出す一方、内面や躍動する姿を描く際にはたたらに関する描写を織り込んでいます。
 たとえば、激しい感情の起伏や全身を突き動かす心の高揚感は、燃え立つたたらの炎や砂鉄が熔ける様子になぞらえ、お国の心のつぶやきには鉄穴師だった父や村下の娘だった母が登場します。そして、絶望の淵に立たされたお国は「たたら唄」や両親の形見でもある「たたら製のきんの音」で心を鼓舞し、力強く立ち上がっていきます。

 火のように踊ったというお国は観衆を虜にし、「出雲の阿国」の名を天下に轟かせ、「天下一」と称されるようになっていきます。


  • 阿国歌舞伎図[京都国立博物館 蔵]

大蛇おろちが踊りの原点

 お国が最も得意とした踊りの技として、作者は斐伊川で培ったという足拍子あしびょうしを挙げています。それは、足の裏が地につかないうちに早くも跳ねて空中に身を浮かせているように見え、あらゆる芸能を知り尽くした連歌師さえも驚き、足拍子に稽古をつけることはなかったといいます。
 それではお国はどうやって足拍子を磨きあげていったのでしょう。
 お国が水汲みに通っていた斐伊ひい川の下流には、上流で行われる鉄穴流かんなながしによって流された土砂が大量に堆積しています。そのため川辺で水汲みをするには、砂に足が埋まらないように軽く足踏みをしなければならず、それが独特な足さばきとなったというのです。


  • 斐伊川

 いわば鉄穴流しで流された砂はお国の踊りの原点というわけですが、皮肉にもその砂は下流域に水質汚濁や洪水を引き起こし、川上のたたらと川下の農村との間に対立をまねいていました。
 作者は斐伊川も作品のモチーフにしようと、取材旅行の折に斐伊川を下流から上流へと遡り、当時まだ操業されていた鉄穴流しの現場を取材し、赤土が混ざってわずかに血の色となった川の水の色に目を奪われたという体験を手記に残しています。
 そして綴られた物語の冒頭部分は「大蛇おろちおごいておるげな、と人々は首をすくめて囁きあっていた」とヤマタノオロチ神話の大蛇を斐伊川になぞらえ、以降、物語の随所で暴れる大蛇(=斐伊川の洪水)に触れていきます。
 物語の中盤、洪水で不毛の地となった故郷の惨状を耳にしたお国は「都で、踊り浮かれていて、いいものだろうか」と後ろめたさを感じます。踊る意味を自問しながら踊り続ける姿も本作品のお国の一面でした。

踊り抜いたその先に

 時代の最先端を踊り抜いたお国は、やがて時流に取り残されるようになり、京を追われて出雲杵築に帰郷し、病に伏します。それでも踊る意欲を失わなかったお国に再起の舞台が用意されます。
 飯石kakkoいいしの吉田(現在の雲南市吉田町)でたたらを経営する鉄師に招かれたのです。

 病をおしてたたら場に向かったお国は、力の限り唄い踊り、たたら場の人々を熱狂させます。そして、踊りの褒美として鉄師に、斐伊川の洪水の原因となっている鉄穴流しの砂が下流に流出しないよう「砂止め工事」を願い出ますが、鉄穴流しの現場に向かう途中で落石に遭い、命を落としてしまいます。
 しかし無念の死ではありませんでした。「死ぬるその日まで踊り続けたい」というかねてからの願いをかなえたお国は「満足していた」と、物語は語ります。
 その後、鉄師は「斐伊川の砂止め工事」を断行し、鉄穴流しの砂をめぐって長く繰り返されてきた川上と川下の不和に終止符が打たれます。

 お国は命の炎が燃え尽きるまで踊り抜き、自らのルーツにつながるたたら場と生まれ育った川下の流域一帯を救ったのです。


  • 出雲阿国像(島根県出雲市)

お国が眠るたたらの町へ

 作品中、お国の集大成の地となった島根県雲南市吉田町は中国山地の山深くにあります。この地は大正期までの数百年間、たたら製鉄で繁栄した製鉄の町で、その面影を町並みや建造物、史跡、人々の暮らし、山や川などの自然界に色濃く残しています。
 作者はこの地も訪ね、作品世界をふくらませています。お国に最期の踊りの舞台を整えた鉄師の名を借りようと、かつての鉄山の経営者「田部家」を訪ね、丁寧に取材をし、わが国で唯一残る高殿たかどの菅谷すがやたたら」に足を踏み入れ、村下に話を聞き、お国が幼い頃から憧れ続けてきた高殿をリアルに描き出しています。


  • 吉田の町並み(雲南市)
  •  現在この町では、古来の伝統技法を使ったたたら操業も村下も途絶えてしまいましたが、「鉄の歴史博物館」で公開される映画『和鋼風土記わこうふどき』で全貌を追うことができます。
     これは昭和44年(1969)に「菅谷たたら」近くに建てられた高殿で実施された復元操業の記録映像で、壮絶ながら神秘的な各場面は、お国の生の証のようにも思えます。山吹色に燃え立つ炎にお国の内面を、真っ赤な火を噴き姿を現したけらにお国が生み出した踊りを、どんな火にも動じず冷静沈着に行動する村下にお国の祖父や母親を、鉄穴流しの現場にお国の父を・・・・・・。
     同館は作者がこの町を訪れた頃にはまだありませんでした。もし作者の目に触れていたら、より情熱的な女性像が誕生していたかもしれません。 

     小説の中でお国は踊りの褒美としてもうひとつ「鑪者たたらもの」として葬られ、墓所は誰にも告げないようにと願い出ています。たたらの歴史を大切に守り伝え続けるこの地に眠ると描かれたお国の魂は、今もどこかで燃え立つ炎のように踊り続けているのかもしれません。